1998年〜1999年頃 ニューオリンズ・セインツ・ファン・クラブが発足。 2001年頃から、その頃既にフラッグフットボールをやっていたGABBA GABBA HEYさんが、フラッグフットボールをファン・クラブ内に広めはじめました。 他のNFLチームのファンの知り合いにも声をかけ、少しずつ、みんなで集まって飲み会の前に一汗流し始めるように...。 そして2002年、いよいよチームとして活動を開始。 創設のメンバーは、6名という事になっています。 この頃は、練習に3〜5人位の参加。 一番ヒドかった時は、寒い小雨降りしきる時で、二人しか来ませんでした。 それでもキャッチボールとパス練習を行い、楽しんでいました。 2003年にシーガルズカップに出場。初めて、試合を行いました。 もちろん惨敗。 この時の対戦相手、マーヴェリックスさんとお友達に。その後も何度も練習試合で対戦。いつか越えないといけない壁です。 という具合に非常に牧歌的な頃でした。 2004年1月に、先の練習試合で知り合った入間レンジャースさんとの練習試合の段取りをつけました。 当日はあいにくの雪。
しばらく後、先方のキャプテンから「今日は残念でしたね、また今度やりましょう」的な電話がかかってきた所で、「すみません、ウチのメンバーみんな試合やりたい一心でもう向かってます。」 そんなこんなで、半ば強引に練習試合開催。 こちらに様々なアドバンテージがあり、フラットに言えるものではありませんでしたが、とにかく試合終了時にこちらの得点の方が多かったという事実。 その時、既にエンドゾーンは真っ白になっていました。 入間レンジャースの皆さん、お付き合いいただいてありがとうございました。 これが雪の入間。我がチーム初勝利の日です。 2004年には、GABBA GABBA HEYさんの薦めでF-Leagueに加盟。 試合の機会を大幅に増やす事ができました。 その後、徐々にチームはメンバーを増やし、さらにスプラッシュパワーズ佐野の皆さんと合同練習を数度行っているうちに、チームとしてできてきた事もあり、GABBA GABBA HEYさんは、もともと自身が所属していたチームに専念する事に。 もちろん、彼は今もアドバイザー・名誉顧問、時には撮影係など、様々にチームを助けてくれています。 代わって、GABBA GABBA HEYさんの指名によりキャプテンにJose#87が就任。 2005年には、なんとかF-Leagueの1チームという感じになってきて、FJで安定した成績が出せるようになりました。 2006年には関東オープントーナメントでBEST8に食い込むまでに。 2007年にはF2リーグに昇格。 1勝1分2敗という成績でした。 2008年には、F-Leagueのチームを4チーム集めて練習試合を開催。 またF-2 Leagueでは2位。F-1まで、あと一歩まで迫る事ができました。 2009年はF2リーグで3年目。 周囲のレベルも格段に上がり、実力拮抗のF2リーグで苦難の日々です。 この辺りから、参加できる人数が減少し始めて、少々やりくりが困難に。その分、既存メンバー間の連携は密になりましたが...。 2012年 救世主、Class of '12現る。 この年だけで、試合出場登録メンバーが7名も増員。 まさに天の恵みです。 その分、連携には苦しんで、リーグ戦での成績はアレでしたが、やっぱり人が増えると楽しいもんです。 2013年 そして、2013年はさらなる実りの年に。 次々と新加入者が訪れてくれたため、もはや1チームでは出番の問題などのデメリットが出てくる事に。 そこで、チームを2つのグループに分けて、リーグには2チームエントリーするという贅沢な陣容になりました。 アメフト経験者や、キャリアのあるメンバーで、F2リーグに登録するチームBLACK(登録チーム名は、旧来通り、さいたまセインツ) 新加入者や、キャリアの浅いメンバーを中心に、FJというカテゴリーで登録する、チームGOLD。 それぞれに、楕円のボールを楽しんでいます。 2014年 さらに発展を続けるチーム。2014年は記念すべき年に。 チームGOLDも、順調に公式戦を経験し、通算100得点を達成。 安定して戦えるチームになってきています。 そしてチームBLACKは、厳しいF2リーグを勝ち抜き優勝。 遂にチーム史上初タイトルをもたらしました。 ![]() 2015年 前年F2優勝チームとして、F1リーグに昇格。 残念ながら、その壁は厚く、1年で降格となったものの、歴史的1勝を挙げる事ができました。 2017年 新たにGOLDから、BLACKへの人材供給という事も行って臨んだシーズン。 F2リーグで、2回目の優勝。 ![]() 一方チームGOLDも、試行錯誤の中大勝利を挙げる試合もあり、少しずつ進歩してきてるところです。
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